前回、今後の年金制度の改正について取り上げましたが、そもそも年金制度とはどのようなものなのでしょう。

年金制度のスタートは、軍人のための恩給制度が始まりとされます。

恩給制度とは、公務のためにけがをしたり病気にかかって退職したとき、または公務で死亡したときに、国が使用者として公務員や遺族に年金等の給付を行う制度で、明治8年に発足した「海軍退隠令」が我が国で最も古い年金制度です。

恩給の対象者は、旧軍人、文官、教育職員、警察監獄職員等となり、旧軍人以外の文官等の恩給は、昭和34年に国家公務員共済組合法が施行されたことにより、恩給制度から共済制度に移行しました。

現在の受給者は4月時点で63万人となります。

民間労働者の年金制度は、昭和14年(1939年)に公布、翌年施行された「船員保険法」が始まりで、船員の医療や労災保険も含む制度でした。

昭和14年は、まさに戦時体制下。まずは船員から保険制度で補償しようとなったわけです。

その後、ナチス・ドイツの年金制度を範として、昭和16年(1941年)に「労働者年金保険法」を制定し、翌昭和17年(1942年)から施行工場で働く男子労働者を対象とした保険制度がスタートします。

この制度は、昭和19年(1944年)には適用範囲を男子事務員と女子労働者にまで拡大し、名称も「厚生年金保険法」に改められました。

昭和16年~19年といえば、第二次世界大戦の真っただ中。

制度を導入の際には戦時中ということで大蔵省と大日本帝国陸軍から相当の反対があったようですが、実際の支払いは数十年先のことである事から、当面は戦費調達を目的として日本の国民皆年金制度は始まったとされます。

戦後は、政治や経済の大変革に併せて様々に変化していきます。

まず、恩恵的な性格の強かった各種の恩給制度は、軍人恩給を除いて、保険料を負担する共済年金に切り替えられ、国家公務員共済組合が昭和34年(1959年)に施行、地方公務員等共済組合が昭和37年(1962年)に施行され、現在の共済組合制度の基礎となりました。

厚生年金保険は、昭和29(1954)年、現在の厚生年金保険制度の基本体系となる全面的な制度改正を行います。この時、年金の支給開始年齢が男子60歳・女子55歳からと定められました。

厚生年金保険の改正と同時に、私立学校の恩給制度と厚生年金保険に加入していた一部の私立学校が統合され、私立学校教職員共済組合が誕生し、現在の私立学校教職員共済制度へとつながっていきます。

その後も、昭和33年(1958年)に「国会議員互助年金」、昭和34年(1959年)に「国民年金」というように、職域ごとに年金制度が制定されていき、昭和36年(1961年)に保険料を納付し運用する「拠出制国民年金」が発足し、国民皆年金が達成される事となります。


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